【ソフトウェア開発現代史】 DevOpsを形づくった人々 〜Kent Beck氏、Gene Kim氏の来日に寄せて〜

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ソフトウェア開発現代史年表 Ver2.07

はじめに

こんにちは。ソフトウェアプロセス改善コーチ兼アジャイルコーチ兼エンジニア兼Findy Tech Blog編集長の高橋(@Taka-bow)です。

30年以上前、エンジニアとしての第一歩を踏み出したばかりの私に、ある先輩が教えてくれた言葉があります。

「動いているコードには触れるな」

この言葉は、当時の日本のIT現場における「安定性最優先」の価値観を象徴しています。一度リリースされたシステムは「完成品」として扱われ、必要最低限の変更以外は避けるべきという考え方が主流でした。変更は常にリスクをはらんでおり、「動いているものを変えれば壊れる可能性がある」という恐れが、技術的な進化よりも優先されていたのです。

しかし、DevOpsの登場によって、この価値観は大きく変わりました。「変更を恐れる」文化から「変更を受け入れる」文化へ。「安定性のために変更を避ける」から「頻繁な小さな変更によって安定性を高める」へと変化しました。

つまり「動いているコードには触れるな」から「常に改善し続けるコード」へと進化したのです。

この価値観の転換は、単なる技術的な進化ではなく、ソフトウェア開発に対する根本的な考え方の変革です。

世界的には当たり前となりつつあるこの変革ですが、日本の状況はどうでしょうか。興味深いことに、日本では一部のWeb系企業やスタートアップを除き、DevOpsの波はまだ十分に広がっていません。

なぜでしょう?

この疑問を探る前に、まずDevOpsがどのように生まれ、発展してきたのかを理解する必要があります。ソフトウェア開発現代史の視点から、この変革をもたらした先駆者たちの物語を紹介していきたいと思います。

下図の年表に示すように、DevOpsの歴史は2009年頃から始まります。

DevOps誕生以前(〜2000年代前半)

2000年代前半までのソフトウェア開発では、開発と運用は完全に分断され、しばしば対立関係にありました。開発チームの目標は「新機能を素早くリリース」、運用チームの目標は「システムの安定性維持」であり、この2つの目標はしばしば衝突していました。

  • 開発チームは「とにかく早くリリースしたい」 → 変更を加えたがる
  • 運用チームは「安定稼働が最優先」 → 変更を嫌う
  • 結果として、開発は「リリース遅延」に苛まれ、運用は「障害対応」に追われる

変更のリスクを最小限にするために、厳格なリリースプロセスが敷かれ、開発者は運用チームから「勝手にデプロイするな」と釘を刺されていました。その結果、リリースサイクルは長期化し、開発の俊敏性が犠牲になっていったのです。

特に、大規模なリリースでは手作業によるデプロイが行われることが多く、設定ミスや環境差異が原因で障害が頻発していました。こうした問題を解決し、開発と運用のギャップを埋める新たなアプローチが強く求められていました。

2009年:DevOpsのはじまり

Flickrの伝説的講演「10+ Deploys Per Day」

こうした状況に一石を投じたのが、2009年のO'Reilly Velocity 09 Conferenceで行われた、Flickrのエンジニアによる伝説的な講演です。当時Flickrのエンジニアだったジョン・オールスパウ(John Allspaw)とポール・ハモンド(Paul Hammond)が「10+ Deploys Per Day: Dev and Ops Cooperation at Flickr」のタイトルで発表し、業界に衝撃を与えました。

この講演で彼らは、当時としては驚異的な「1日に10回以上のデプロイ」を実現している事実を明らかにしました。多くの企業が月に1回や四半期に1回のリリースサイクルに苦しんでいた時代に、これは革命的な実践だったのです。

彼らが強調したのは次のポイントです。

  1. 開発と運用の協力関係 - 両チームが共通の目標(ユーザー価値の提供)に向かって協力する
  2. 小さな変更の頻繁なデプロイ - 大きな変更を一度にリリースするのではなく、小さな変更を頻繁にリリースする
  3. 自動化の徹底 - テスト、デプロイ、モニタリングなど、あらゆる工程を自動化する
  4. 「失敗は避けられない」前提 - 失敗を防ぐのではなく、素早く検知して回復する能力を高める

この講演により「高頻度デプロイは可能」との認識が広まり、多くの企業がFlickrの実践に触発されて自社のデプロイプロセスを見直すきっかけとなりました。この講演は、YouTubeで「10+ Deploys Per Day: Dev and Ops Cooperation at Flickr」として今でも視聴可能であり、DevOpsを学ぶ人々にとって必見の資料となっています。

このとき日本では:アジャイル導入の緩やかな歩み 2001年に発表された「アジャイルソフトウェア開発宣言(アジャイルマニフェスト)」は、「プロセスやツールよりも個人と対話を」「包括的なドキュメントよりも動くソフトウェアを」といった価値観を掲げ、後のDevOps誕生の重要な思想的背景となりました。しかし、2000年代前半のアジャイル導入期において、日本企業の多くはこの本質である「変化への適応」や「顧客との協働」といった考え方を十分に受け入れることができませんでした。日本の階層的な組織構造や詳細な計画を重視する文化が、アジャイルの柔軟性と相容れなかったのです。DevOpsはアジャイルの延長線上に生まれた考え方であり、この最初のアジャイル導入のチャンスを逃したことが、後のDevOps導入の遅れにも直接的な影響を与えることになりました。

パトリック・ドボアと「DevOps」という言葉の誕生

Flickrの講演と同じ2009年、「DevOps」という言葉が誕生しました。この言葉の背後には、ベルギーのITコンサルタントパトリック・ドボア(Patrick Debois)の興味深い物語があります。*1

実は、ドボアの旅は2007年に始まっていました。ベルギー政府のデータセンター移行プロジェクトに携わっていた彼は、開発者とシステム管理者の間の対立に悩まされ、解決策を模索していました。

転機となったのは2008年8月、トロントで開催されたAgileカンファレンスでした。ソフトウェア開発者のアンドリュー・シェーファー(Andrew Shafer)が「Agile Infrastructure(アジャイルインフラストラクチャ)」というセッションを開催しましたが、参加者はたった一人、パトリック・ドボアだけでした。二人はこの出会いをきっかけに、開発と運用の間の壁を取り払うアイデアについて議論を始めました。

そして2009年、先述のFlickrの講演「10+ Deploys Per Day」に触発されたドボアは、エンジニアのナスラット・ナサー(Nasrat Nassar)からの「ベルギーで独自のVelocityイベントを開催してはどうか」というツイートをきっかけに行動を起こします。彼は「DevOpsDays」というイベントを開催することを決意しました。

この名前は、「development(開発)」と「operations(運用)」の最初の3文字を取り、「days(日)」という単語を追加したものでした。2009年10月30日に開催されたこのカンファレンスには、開発者、システム管理者、ツール開発者など多様な参加者が集まりました。

カンファレンス終了後、議論はTwitterに移り、より覚えやすいハッシュタグとして、ドボアは名前を「#DevOps」に短縮しました。これが「DevOps(Development + Operations)」という言葉の誕生であり、それ以来、このムーブメントはDevOpsとして知られるようになりました。

興味深いことに、スペルについては今でも意見の相違があります。主流の使用法は「DevOps」ですが、創始者のドボアを含む少数派は「Devops」を主張し、一部の人々は大文字を完全に排除して「devops」とすることを主張しています。

ドボアのX(当時はTwitter)アカウント(@patrickdebois)は初期のDevOpsムーブメントの中心的な情報源となり、#devopsというハッシュタグを通じて、世界中の実践者がアイデアを共有する場となっていきました。

このとき日本では:クラウド導入の機会損失 2006年から2010年にかけてのクラウド黎明期において、AWSをはじめとするクラウドサービスの登場は、単なるインフラの選択肢ではなく、DevOpsの実践を加速させる技術的基盤でした。「Infrastructure as Code」や「自動化」といったDevOpsの核心的な実践を可能にする環境が整いつつあったのです。しかし、日本企業の多くは「セキュリティ懸念」「既存システムへの投資保護」「クラウドの信頼性への疑問」などを理由に慎重な姿勢を取り続けました。この時期に積極的なクラウド活用を進めていれば、DevOpsへの移行も自然な流れとして実現できたはずです。この「待ちの姿勢」が、後のDevOps導入の遅れにも繋がることになりました。

なお、パトリック・ドボアは昨年2024年1月に行われたDevOpsDays Tokyo 2024の基調講演のため来日しています。

私は現地でお話を聞きましたが、このときのドボアはAIにとても興奮しており、特にRAGについてのお話でした。

当時の私は、ドボア氏が何に興奮していたのか、何も分かっていませんでした……でも、今なら分かります。

改めてビデオを見返して、気になった発言をピックアップしました。

私がとても気に入っている概念のひとつに、こういう考え方があります。
エージェントの性能が向上すれば、私たちは直接「もの」を作るのをやめ、
「ものを作るもの」を作るようになります。
つまり、自動化の次の段階に進むのです。


多くの人が私にこう言いました。
「DevOpsでは乗り遅れた。でも今度のAIの波では遅れたくない。」
成熟したDevOps文化を持つ人々こそ、GenAIのアーリーアダプターになりつつあるのです。


私たちエンジニアは、常にやりすぎる傾向があります。
でも、それでいいのです。
今もっとも難しい新しいプログラミング言語?
それはもしかすると「英語」か「日本語」かもしれませんね。


もっと、たくさん痺れる事を仰っているので、ぜひ本編YouTubeをごらんください。

2010年代前半:ジェズ・ハンブルと継続的インテグレーション(CI)から継続的デリバリー(CD)への発展

さて、話を戻しましょう。ここで登場するのが、DevOpsの歴史において重要な役割を果たした人物、ジェズ・ハンブル(Jez Humble)です。彼はソフトウェアデリバリーの自動化と効率化に関する先駆的な研究と実践で知られ、継続的デリバリー(CD)の概念を体系化した第一人者として世界中のソフトウェア開発に多大な影響を与えました。

DevOpsの言葉が広まり始めた2010年代前半、まず理解しておくべき重要な概念が「継続的インテグレーション(Continuous Integration, CI)」です。CIは実はDevOpsより前から存在していた概念で、2000年代初頭にアジャイル開発の文脈で広まりました。

特にマーティン・ファウラー(Martin Fowler)ケント・ベック(Kent Beck)がその重要性を提唱しています。

継続的インテグレーション(CI)とは何か

継続的インテグレーションの核心は、「開発者が頻繁にコードを統合し、自動テストによって問題を早期に発見する」という実践です。具体的には次のような特徴があります。

  • 頻繁なコミット - 開発者は少なくとも1日1回、コードをメインブランチに統合する
  • 自動ビルド - コードがコミットされるたびに自動的にビルドが実行される
  • 自動テスト - ビルド後に自動テストが実行され、問題があれば即座にフィードバックが得られる
  • 問題の早期発見 - 統合の問題を早期に発見することで、修正コストを低減する

CIの実践により、「統合地獄(Integration Hell)」と呼ばれる、長期間分岐したコードを統合する際の困難を避けることができます。CIを実現するツールとしては、Jenkins(旧Hudson)、Travis CICircleCIなどが広く使われるようになりました。

なお、CI(継続的インテグレーション)と密接に関係する実践として、TDD(Test-Driven Development:テスト駆動開発)があります。TDDは「テストを先に書き、そのテストをパスする最小限の実装を行う」という開発手法で、Kent Beckがエクストリーム・プログラミング(XP)の中で体系化し、広く普及させました。

TDDによって作成される自動テスト群は、CIパイプラインにおける重要な構成要素となり、コードの品質を継続的に保証する基盤となります。TDDが主にコードレベルの品質を担保するのに対し、CIはチーム全体での統合品質を確保する役割を果たします。両者はいずれも「早期フィードバック」と「問題の早期発見」を重視しており、DevOps実践の基盤として不可欠な考え方です。

継続的デリバリー(CD)への発展

CIが「コードの統合と検証の自動化」に焦点を当てているのに対し、継続的デリバリー(CD)はその先の「デプロイメントまでの自動化」にまで範囲を広げた概念です。この概念を体系化したのが、ジェズ・ハンブルとデビッド・ファーリー(David Farley)による「Continuous Delivery: Reliable Software Releases through Build, Test, and Deployment Automation」(2010年、日本語訳は2012年)の書籍でした。

この書籍では、「継続的デリバリー(Continuous Delivery, CD)」の概念が体系的に説明され、その核心は「ソフトウェアをいつでも本番環境にリリース可能な状態にする」ことにありました。

ジェズ・ハンブルとデビッド・ファーリーは、この書籍で継続的デリバリーを実現するために次のような実践を提唱しています。

  • デプロイメントパイプライン - コードの変更が自動的にビルド、テスト、デプロイされる一連のプロセス
  • 自動化されたテスト - 単体テスト、統合テスト、受け入れテストなど、あらゆるレベルのテストを自動化
  • 本番環境と一致したステージング環境 - 「開発環境では動くのに本番では動かない」問題を解消
  • ブルーグリーンデプロイメント - ダウンタイムなしでのデプロイを可能にする手法

これらの実践は現代のCI/CDパイプラインの基盤となり、ジェズ・ハンブルとデビッド・ファーリーの貢献によって「継続的インテグレーション(CI)」から「継続的デリバリー(CD)」へと、自動化の範囲が大きく拡大していきました。

このとき日本では:継続的デリバリー(CD)とゲートキーパー文化の相克 2010年代前半には、継続的デリバリー(CD)の波が世界中に広がりました。海外では多くの企業がデプロイパイプラインを構築し、頻繁なリリースを実現していました。一方、日本企業の多くは「手動リリース」や「長いリリースサイクル」、「厳格な承認プロセス」を維持し続ける傾向がありました。これは日本特有の品質管理への強いこだわりや、変更に対する慎重な姿勢が影響していると考えられます。「リリース=大イベント」「変更=リスク」という認識が根強く、DevOpsの核心である「小さな変更を頻繁に行う」文化への移行が進みにくい土壌があったのです。特に、多くの組織では品質保証部門が「ゲートキーパー」として機能し、リリース前の最終承認権を持つ構造が確立されていました。このゲートキーパー型の品質保証プロセスは、継続的デリバリーが目指す「自動化されたテストによる品質担保」という考え方と根本的に相容れず、プロセス重視の文化から脱却することが難しかったのです。

2010年代中盤:ジーン・キムとDevOpsの理論体系化

2010年代中盤、DevOpsムーブメントの中心人物として台頭したのがジーン・キム(Gene Kim)です。彼は優れた技術者であると同時に、複雑な概念を分かりやすく伝える稀有な才能を持ち合わせていました。それまで現場レベルの実践知として広がっていたDevOpsの考え方を、組織全体で取り組むべき体系的な方法論として確立した功績は計り知れません。彼の著作は技術書の枠を超え、多くの組織でDevOps変革の指南書となっています。

2013年、ジーン・キムは、ケビン・ベア(Kevin Behr)、ジョージ・スパッフォード(George Spafford)と共に「The Phoenix Project: A Novel about IT, DevOps, and Helping Your Business Win(邦題:The DevOps 逆転だ!)」を出版しました。

この小説形式の書籍は、架空の自動車部品メーカー「Parts Unlimited」のIT部門が、DevOpsの原則を採用することで危機を乗り越える物語を描いています。物語形式でありながら、DevOpsの本質的な考え方を分かりやすく伝え、多くの読者に影響を与えました。

続いて2016年には、ジェズ・ハンブル、パトリック・ドボア、ジョン・ウィリス(John Willis)と共に「The DevOps Handbook: How to Create World-Class Agility, Reliability, and Security in Technology Organizations」を出版し、DevOpsの実践をより体系的にまとめあげました。

この書籍では、DevOpsの三つの原則(Three Ways) が提唱されています:

  1. フロー(Flow) - 開発からデプロイまでの流れを最適化する
  2. フィードバック(Feedback) - 問題を早期に発見し、素早く修正する
  3. 継続的学習と実験(Continual Learning and Experimentation) - 失敗から学び、継続的に改善する

ジーン・キムの貢献により、DevOpsは単なる技術的プラクティスではなく、組織文化の変革として広く認識されるようになりました。

このとき日本では:DevOpsの理論と技術基盤の受容の遅れ ジーン・キムらがDevOpsの理論を体系化していた2013年以降、世界ではマイクロサービスアーキテクチャが注目され、Dockerの登場によりコンテナ技術が普及し始めました。これらの技術は、DevOpsの三つの原則(フロー、フィードバック、継続的学習)を実践するための技術的基盤でしたが、日本企業の多くはモノリシックなアーキテクチャと従来のデプロイモデルを維持し続けました。マイクロサービスへの移行には技術的な挑戦だけでなく、組織構造の変革(「2ピザチーム」など小規模で自律的なチーム編成)も必要でしたが、日本の階層的な組織文化はこうした変革に適応しにくい面がありました。「The Phoenix Project」や「The DevOps Handbook」といった書籍は日本語にも翻訳されましたが、その思想を実践に移す組織はWeb系企業の一部に限られていました。

2010年代後半〜現在:DevOpsの普及と進化

2010年代後半になると、DevOpsの考え方は業界全体に広がり、様々な形で進化していきました。

Googleによる「SRE(Site Reliability Engineering)」の提唱

2016年、Googleは「Site Reliability Engineering: How Google Runs Production Systems」の書籍を出版し、「SRE(Site Reliability Engineering)」の概念を広めました。

SREはDevOpsの思想を具現化し、システム運用と開発の連携を深めるための実践的なアプローチです。具体的には、ソフトウェアエンジニアリングの考え方をインフラや運用に適用し、システムの信頼性を向上させることを目的としています。

「You build it, you run it(作ったものは自分で運用する)」文化の定着

Amazonのエンジニアリング文化から生まれた「You build it, you run it(作ったものは自分で運用する)」の考え方もこの時期に広く普及しました。これは開発者が自ら作ったシステムの運用にも責任を持つ考え方で、開発と運用の境界をさらに曖昧にするものです。この文化の下では、開発者はコードを書くだけでなく、デプロイ、モニタリング、障害対応など、システムのライフサイクル全体に関わることが求められるようになりました。

DORA(DevOps Research and Assessment)の設立と影響

Dr. Nicole Forsgren (開発生産性Conference 2024にて)

2016年、ニコール・フォースグレン(Nicole Forsgren)ジェズ・ハンブル(Jez Humble)らによって「DORA(DevOps Research and Assessment)」が設立されました。DORAはDevOpsの実践と組織のパフォーマンスの関係を科学的に調査・分析する組織として、毎年「State of DevOps Report」を発行し、世界中の何千もの組織からデータを収集・分析することで、DevOpsの実践がビジネス成果にどのように影響するかを明らかにしてきました。

特に、「デプロイ頻度」「変更のリードタイム」「変更失敗率」「サービス復旧時間」 の4つの主要指標(Four Key Metrics)を確立し、これらがビジネスパフォーマンスと強い相関関係にあることを示しています。

2018年には、ニコール・フォースグレン、ジェズ・ハンブル、そしてジーン・キムによって書籍「Accelerate: The Science of Lean Software and DevOps: Building and Scaling High Performing Technology Organizations(邦題:LeanとDevOpsの科学)」が出版され、DORAの研究成果が体系的にまとめられました。この書籍によってDevOpsの実践は「科学」として確立される重要な一歩を踏み出しました。

DORAの10年にわたる研究と進化については、2025年4月に開催されたDevOpsDays Tokyo 2025にて私がお話した資料で詳しく解説していますので、そちらもぜひご参照ください。

DORAの研究は、DevOpsの実践が単なるトレンドではなく、科学的に裏付けられた効果的なアプローチであることを証明する上で、非常に重要な役割を果たしています。

クラウドネイティブ技術とDevOpsの融合

AWS、Google Cloudなどのクラウドサービスの活用が拡大し、「クラウドネイティブ」な開発が注目され始めました。これを支える技術として、コンテナ技術(Docker)やコンテナオーケストレーション(Kubernetes)が普及し、インフラとアプリケーションの管理がより柔軟かつ自動化されるようになりました。これらの技術はDevOpsの実践をさらに加速させる役割を果たしています。特に「Infrastructure as Code(IaC)」の考え方が広まり、インフラストラクチャの構成もコードとして管理されるようになりました。これによりインフラの変更も開発プロセスの一部として扱われるようになり、開発と運用の統合がさらに進みました。現代ではTerraform、AWS CloudFormation、Ansible、Puppet、ChefなどのIaCツールが広く使われるようになっています。

DevOpsの文化的側面の重視

技術的な進化と並行して、DevOpsの文化的側面も重視されるようになりました。成功したDevOps組織では次のような文化的特徴が見られます。

  • 心理的安全性 - 失敗を非難せず、学びの機会として捉える文化
  • 実験と学習の奨励 - 小さな実験を繰り返し、継続的に改善する姿勢
  • 部門間の協力 - 開発、運用、セキュリティなど、従来は分断されていた部門間の壁を取り払う
  • 共有責任 - 「これは私の担当ではない」考え方ではなく、全員がプロダクトの成功に責任を持つ

これらの文化的側面がなければ、いくら優れたツールを導入しても、DevOpsの真の価値を実現できないという認識が広まっています。

DevOpsの本質と今後の展望

2009年に始まったDevOpsの旅は、今や業界標準となる考え方を生み出しました。現在、多くの開発チームがCI/CDを導入し、自動化されたデプロイパイプラインを運用しています。開発者がコードをコミットすると、すぐにテストが走り、数分後には本番環境へデプロイされるようになりました。リリースのたびに夜を徹して作業したり、「障害対応のために今すぐオペレーションチームを呼べ」と叫んだりする文化は、徐々に過去のものになりつつあります。

しかし、DevOpsの本質は単なる「自動化」ではありません。開発と運用の対立を超え、継続的に改善し続ける組織文化を作ることこそがDevOpsの本質なのです。パトリック・ドボア、ジェズ・ハンブル、ジーン・キムをはじめとする先駆者たちが伝えたかったのは、ツールや技術の導入ではなく、根本的な組織文化の変革でした。

これからの開発者は、ツールやプロセスだけでなく、組織全体の在り方に目を向ける必要があります。 そして、彼らが築いたこの文化をさらに進化させていくことが求められているのです。

日本におけるDevOps:まだ「一部の人たちのモノ」状態

DevOpsは世界的に広がりを見せていますが、日本においては普及のペースが異なる面もあります。

例えば、AgileやScrumのイベントと比べるとDevOpsDays Tokyoの参加規模や盛り上がりが海外の同様のイベントと比較して小さいことからも、日本特有の課題があることがうかがえます。

また、2018年10月には「ソフト高速開発のDevOps推進協議会が2年余で解散」というニュースも報じられました。

日本でDevOpsの導入が遅れている理由を構造的・文化的・歴史的背景から分析すると、次のような要因が浮かび上がってきます。

要因 説明
「開発」と「運用」の切り分けの曖昧さ 日本の多くの企業では、「システム部門」が開発・運用・保守のすべてを抱える体制が一般的でした。このため、DevOpsが解決しようとした「開発と運用の断絶」問題が顕在化していなかったのです。しかし、これは必ずしも良い状況ではありませんでした。役割は分かれていなくても、責任やナレッジの分担があいまいで属人的になりやすいという弊害がありました。つまり、「DevとOpsが分かれていない」状態が「連携している」状態を意味するわけではなかったのです。
受託開発構造と多重下請けによる分業文化 日本では、ユーザー企業 → SIer(元請)→ サブ → 孫 という多重下請け構造が見受けられます。この構造だと、開発はA社、運用はB社、保守はC社という分断が起きやすく、DevOpsの前提である「共通の目標と責任」が成立しにくい環境にあります。DevとOpsが物理的にも契約上も分断されているため、DevOps導入が困難な状況が生まれているのです。
製造業モデルの異なる解釈:工程主義・完璧主義 日本のITは製造業の品質管理思想の影響を強く受けていますが、その解釈に課題がありました。本来、トヨタ生産方式は「継続的改善(カイゼン)」や「小さな改善の積み重ね」を重視し、これはDevOpsの思想と共通しています(実際、DevOpsの「リーン」の考え方はトヨタ生産方式が起源です)。しかし、多くの日本のIT現場では、製造業の手法を「工程の厳格な管理」「完璧な品質の追求」という側面だけを取り入れ、「リリース=出荷」「不具合=欠陥品」という感覚が強くなりました。このため、頻繁なリリース(Continuous Delivery)や早期フィードバックといったDevOpsの実践が「リスク」だと認識される傾向があるのです。皮肉なことに、トヨタ生産方式の本質を正しく理解していれば、DevOpsへの親和性はむしろ高かったはずなのです。
インフラのアウトソーシング文化 データセンターやネットワーク運用を外部委託(SIer、DC事業者など)するのが主流で、自社にインフラ運用の知見が蓄積しにくい環境があります。クラウドネイティブな文化が根付く前は、Opsの自動化やSRE的観点がなじみにくかったのです。これにより、DevOpsの「Infrastructure as Code」「SRE」文化が根付きにくい土壌が形成されていました。
ITが"事業の中核"ではないという認識 海外(特に米国)では、2000年代以降「ITは競争力の源泉」と位置づけられていましたが、日本ではITが依然として「業務支援」「コストセンター」と見なされ、IT部門が戦略の中心になりにくい状況がありました。このため、DevOpsが本来持つ「ビジネス成果を最大化するための仕組み」としての意義が伝わりにくかったのです。

しかし、近年日本企業においてもDevOpsへの関心が高まっています。その背景には次のような変化があります。

  • クラウドネイティブの普及:AWS、Google Cloudなどのクラウドサービスの活用が拡大し、インフラのコード化や自動化の基盤が整いつつある
  • 内製回帰の動き:特にメガベンチャーやSaaS企業を中心に、システム開発の内製化が進み、DevOpsの実践がしやすい環境が生まれている
  • 開発生産性の重視:Developer Productivity向上への注目が高まり、CI/CDパイプラインの構築など、開発効率を高める取り組みが増えている
  • AI革命の波:ChatGPTをはじめとする生成AIの登場により、ソフトウェア開発および運用の在り方が根本から変化しつつある。コードの生成、テストの自動化、運用時のログ分析や障害対応といった領域でAIが実用段階に入り、従来の手作業中心のプロセスは再構築を迫られている。AIは単なる補助ツールではなく、開発サイクル全体に組み込まれる存在となりつつあり、その文脈においてDevOpsも再定義され始めている。

この変化は一様ではありません。新興企業やIT専業企業ではDevOpsの実践が進む一方、大企業・公共系・受託構造の現場では依然として課題が残っています。

DevOpsとAI導入の共通障壁

冒頭のパトリック・ドボアは、1年前のDevOpsDays Tokyo 2024に於いて「成熟したDevOps文化を持つ人々こそ、GenAIのアーリーアダプターになりつつある」と仰っており、事実そうなりました。

つまり、AI革命の波が押し寄せる中、DevOpsを受け入れられなかった組織は、同じ理由でAIの波にも乗り遅れる危険性があります。

日本でDevOpsを根付かせるためには、単なる「技術導入」ではなく「組織文化改革」として捉える必要があります。「DevOpsを導入する」=「ツールを導入する」ではなく、「職能や役割を超えてチームが協働する文化を育む」ことであり、この文化的転換が日本では特に重要です。

そのため、日本の組織構造を考慮した上で、DevOpsの本質を理解し、自分たちの組織に合った形で取り入れていくためには、次のようなアプローチが有効と思われます。

  1. 変化を恐れない文化の醸成

    • 「失敗は学びの機会」という認識を組織全体で共有する
    • 小さな変更から始め、成功体験を積み重ねることで自信をつける
  2. クロスファンクショナルチームの形成

    • 部門の壁を越えた協働を促進し、共通の目標に向かって取り組む環境をつくる
    • 開発・運用・ビジネス部門が一体となって価値を生み出す体制を構築する
  3. 長期的視点での投資判断

    • 短期的ROIだけでなく、競争力維持の観点から技術投資を判断する
    • 継続的な学習と実験の文化を育み、組織全体の適応力を高める

DevOpsの歴史は、技術の進化だけでなく、人々の協力関係や組織文化の変革の歴史でもあります。その本質を理解し、自分たちの組織に合った形で取り入れていくことが、現代のソフトウェア開発者に求められています。そして、日本の文化や組織構造に合ったDevOpsの形を模索していくことも、私たち日本のエンジニアの重要な課題なのです。


◆ AI時代の適応 ◆
AI時代は、変化に適応できる組織とそうでない組織の差がさらに拡大します。DevOpsの本質である「変化を恐れず、継続的に改善し続ける文化」は、この時代において競争力の源泉となります。
AIの導入に伴い、一部では大規模言語モデルのコストやセキュリティの観点から自社データセンターでのAI基盤構築が選択されています。しかし、これは単なるオンプレミスへの回帰ではなく、クラウドで培われたDevOps手法(IaC、コンテナ技術)を活用した新たな形態です。インフラの場所に関わらず、「自動化」「協働」「継続的改善」というDevOpsの価値はAI時代においてより重要になっています。
過去にDevOpsの波に乗り遅れた組織も、AI時代という転換点を変革の契機として活かすことができるのではないでしょうか。

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アジャイルとDevOpsの世界的権威が同時来日する歴史的瞬間に、ぜひ立ち会ってください。

  • ケント・ベック(Kent Beck) — アジャイル開発の父、XPの創始者、TDDの提唱者。
  • ジーン・キム(Gene Kim) — DevOps革命の立役者、『The Phoenix Project』著者。

本ブログで紹介した「ソフトウェア開発の開拓者たち」が、目の前で語る貴重な機会です。彼らの思想と実践が世界のソフトウェア開発をどう変えたのか、そして日本のエンジニアが今後どう進むべきか—直接その声を聞ける、まさに一生に一度のチャンスです。

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*1: Edwards, D. (2014, May 16). The incredible true story of how DevOps got its name. New Relic. https://newrelic.com/blog/nerd-life/devops-name